何かの組織に所属すると、決まって聞く言葉があります。「お前のためを思って怒ってるんだよ」という言葉です。皆さんの周りにもいませんでしょうか。
個人的な経験からですが、私は昔から人に何かを伝えるときに、喜怒哀楽の「怒」を使うことが嫌いです。使われることも嫌いです。「お前のためを思って怒っている」という言葉に、私はずっと強い違和感を覚えています。
なぜそれが違和感なのか、怒らずに思いを伝えるためにどうしたらよいのか、整理してみたいと思います。
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本当に「あなたのために怒っている人」はどれだけいるのか。
かくいう私も、時には我慢できずに強い(相手は怒っていると思うであろう)口調で、物を言ってしまうことがゼロではありません。
そんな時は強く反省するわけですが、怒ったのがなぜかを考えると、ほとんど「相手のためを思って怒ろう」なんて思ってないのです。
自分が苛立っていたとか、その相手に対する不満がたまっていたとか、考える間もなく先に感情が出てしまっていたとか、そんなもんなんですね。だからこそ強く反省をするわけですが……。
本当に相手に何かを伝えたい、分かってもらいたい、変わってもらいたい、と思ったときは、「相手が本当に動く方法」を真剣に考えるのが筋です。
相手が怒りによってものを伝えて欲しい人だと分かっている、というのであれば話は別ですが、それ以外のケースで怒りを用いるのは矛盾しています。
「お前のために怒っているんだよ」という人は、
- 自分が怒っていることを正当化・美化したい。
- 怒りが抑えられなかったことを自分の未熟さと認めたくない。
という、保身の気持ちからそう言っているのであると私は思います。
つまり、「思っている」のはあなたのことではなく、自分のことである、ということです。
相手はどう伝えると伝わる人なのか。
本当に相手に伝えたい、変わって欲しい、と思うのであれば、相手がどうやったら最も伝わる人なのかを知る必要があります。
それを知るのは難しいですが、少なくとも知ろうとする努力があってしかるべきです。
その時に「怒るぐらい厳しくしてもらいたいです」という相手であれば、心を鬼にしてでも怒るべきでしょう。
そうではなく「怒りをくらうと委縮してしまうので冷静に伝えて欲しい」という相手であれば、同じことを伝えるのでも冷静に伝えるべきでしょう。
以前、私をOJTで見てくださった先輩は、「俺のトリセツ、こういうコミュニケーションはやめて欲しいとか、逆にこうして欲しいとか、ある?」と、初回のミーティングで聞いてくださいました。
「俺のトリセツ」とはいかにも現代的な表現で笑いましたが、本質的に私を伸ばそうと考えてくださっているんだな、と感じたのを覚えています。
私はそこで、「お恥ずかしいですが、ほめていただけるとより意欲が湧くタイプです」という回答をした記憶があり、後になって笑われたのを覚えています。
その先輩は面倒くさいと言いつつも、折を見てほめてくださりました。今となっては、何と恵まれたことかと思っています。
当然ですが、伝えられる側にも、要求をするだけでなく責任が伴います。
怒るのが嫌ということだけが先走り、少しの指摘にも応じられないとなると事が違ってきます。お互い自律的に仕事に臨むことが大事です。この点は履き違えないようにしたいですね。
まとめ
怒という感情は時に便利に感じられるものかもしれません。一時であっても「怒」によって相手が委縮し、思考が停止すると、自分の言っていることが「伝わった」「支配できた」と感じられることがあるのかもしれません。
しかし、「怒」によって得られた結果は長続きしません。ボディーブローのように信頼が減少していき、気が付いた時には周りに誰もいなくなっている、という結末が待っているかもしれません。
相手に物を伝えるには、相手を動かすには、どうするのが最善か、真剣に考えてみましょう。




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